うこうざん石雲寺
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       雨降山 石雲寺
草創
 石雲寺の成り立ち

 寺伝によれば、今からおよそ千三百年前の養老2年(718)、諸国を行脚していた華厳妙瑞という法師が、日向の地へやって来たといわれています。

 法師が山中の石上に座し瞑想すると、渓谷に紫雲を認め、不思議に思った法師が、河原に降りると周囲3丈(約10メートル)程の石の上方に 紫雲がたなびいていて、法師は一心に仏・菩薩の名号を唱えたところ、仏・菩薩の御影が現れたということです。
 
大友皇子陵
(伝)大友皇子陵
 里人に尋ねると、その昔、壬申の乱に敗れた大友皇子が近江国から逃れ住まわれ、この地で亡くなられ、 従者も殉死したといいます。 哀れに思った法師は精舎を建て、皇子の菩提を弔うこととしたそうです。法師は法相宗(ほっそうしゅう)の僧であったようです。
 皇子の墓所は当初、述言により松を植えただけだったようですが、鎌倉時代になって従者の子孫が石で五重の塔を建てたと伝えられます。
 時代が下って、室町時代中期の長禄年間、天渓宗恩(てんけいしゅうおん)和尚が曹洞宗として中興開山され、天文12年(1543)に 北條幻庵から朱印状を拝領した頃、寺院としての基盤が確立したようです。
 当初の寺院名は「医王山雨降院」で、後に開闢(かいびゃく)の縁起に因んで「雨降山石雲寺」と改められています。
 また、以前は総門下の沢の対岸の場所に位置していたのが、後に現在地に移築された様子で、古地図には「雨降院跡」と記され、 「皇子の墓地跡」とともに、戦前は宮内省の所領であったようです。

※資料の主なものは天明2年(1782)に石雲寺15世透鱗和尚が記された「石雲禅寺記録」によります。
 妙観石
 妙観石は、雨降院開闘(かいびゃく)の祖、華厳妙瑞(けごんみょうずい)法師が、摩訶止観(まかしかん)といって、 禅宗で言えば「坐禅」に相当する行を修められた石で、西山に有ると伝わりますが、現在までその所在は未確認です。

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